201303041

宮城県女川町の女川一中の2年生

 

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町の女川一中の2年生が仙台市を主会場に7月3、4日に開かれる国際会議「世界防災閣僚会議in東北」で、被災体験を基に授業でまとめた「津波の被害を最小限にする対策案」を発表する。
 生徒たちは1年生だった昨年4月から社会科で、どんな対策が被災した町にできるかを考えてきた。これまでの授業で、対策の柱は(1)住民同士の絆を強める(2)高台に避難できるような町にする(3)津波の体験を記録に残す-に集約された。 閣僚会議への参加は外務省から依頼があった。初日に仙台市青葉区の仙台国際センターで開かれる全体会合の基調報告で、被災者を代表する形で2人が登壇する。 会議を目前に28日は2年1組の授業で31人が4人ずつのグループに分かれ、発表する対策の具体案を話し合った。生徒からは「本や石碑をつくって次の世代に伝える」「震災を学べる教科書を作る」といった提案が出た。 発表者の一人、勝又さん(13)は「震災が1000年後まで忘れられないようにしたい。そのためにも、世界の人にみんなで考えたことをしっかり届けたい」と意気込む。

 社会科担当の阿部教諭(46)は「対策案は古里をより良くするために生徒自らが考えてきた。自信を持って世界の人たちに伝えてほしい」と話した。
2012年06月30日土曜日

 

 

女川一中2年・阿部由季さんと木村圭さんの発表の概要は次の通り

 

「私たちが考えた三つの津波対策」 

 

あの日、大地震の30分後に襲ってきた巨大津波によって、女川では、日本各地で観測された中で最大の43メートルもの津波が到達し、今回最大の人口の8・77%以上の尊い人命が失われ、家屋の80%以上が流失しました。 甚大な被害があった岩手や福島、そして私たちの宮城では、食べ物や飲み物さえない極限の生活が来る日も来る日も続きました。

 

 2011年4月11日、私たち新入生67名は入学式を例年通りに行うことができました。 女川町のすべての児童生徒700名には、入学式の日に、ユニセフからのバッグ、そして三重県鈴鹿市のNPO法人愛伝舎のご協力により全国、世界からのご支援により始まった「希望のえんぴつプロジェクト」を通じて、鉛筆やノートをいただきました。 最初の社会科の授業で、先生は「愛するふるさとが、大震災で大変なことになった。『社会科として何ができるか』小学校で学んだことを生かして考えてみよう」と話され、夢中で話し合いました。 避難所や仮設住宅から徒歩通学ができずに、ほぼ全員がバス通学になりましたが、「希望のえんぴつプロジェクト」の縁で、先輩の描いた絵や私たちの俳句が、スペースシャトルで日本の宇宙実験船「きぼう」に届けられました。絵は復興の絵はがきとして、女川の感謝の心を届けています。 「見上げれば がれきの上に こいのぼり」は17の言語に翻訳され、連句が世界中で作られています。 3年生は修学旅行で、支援の感謝と御礼を外国人記者クラブで発表し、町内に花を植えたり、小学生に全校合唱を届けるなど、自分たちができることを積極的にしてきました。 私たちは、社会の授業でふるさとの地理的な特徴を調べ、「津波の被害を最小限にする方法」を考えました。 「大地震の時は一人ひとりがとにかく逃げる」 あるグループで、こう結論が出た瞬間です。 「逃げよう!と言っても逃げない人がいるんだよ。それはどうするの?」 友達が涙ながらに訴えました。友達の祖父は、高台への避難を呼びかけ多くの命を救いました。しかし、逃げようとしなかった方の家に3度目に向かい、流されてしまったのです。 「あの過酷な体験をした私たちにしか言えないことを出し合おう」と話し合いを最初からやり直しました。 私たちはまだ中学生ですが、あの大震災の中で大切な命を、家族や先生、町の人など、たくさんの方々が守ってくれました。今度は、再びやってくるといわれる千年後の命を守るため、ぜひ実現したいことが三つあるのです。 一つ目は、「互いの絆を深める」ことです。非常時に一人一人の命を守るためには、ふだんから互いの絆を深めることが必要だと、大震災での体験で感じました。もっと絆を強くしておけば、避難を呼びかけて亡くなってしまった、友達の大切な祖父や多くの人たちの尊い命を守れたはずです。 第2は、「高台へ避難できる町づくり」です。住宅や病院、学校などは、津波が絶対に来ない高台に移します。でも、女川では漁師さんや加工場の人たちは海沿いで働くことになります。そこで、夜でも、初めて来た観光客にも分かるように、太陽光パネルを活用した避難誘導灯と高台への広い避難路を整備しておくのです。 そして、何より大切であり、私たちがぜひ実現したいと願っているのは、この大震災の出来事を「記録に残す」ことです。 社会の授業で様々な本や新聞を調べましたが、津波の記録が私たちの体験と違っていました。今ある記録だけが残ったのでは、きっといつかまたこの大惨事が繰り返されてしまいます。 そこで、女川町内にあるすべての浜に最大の津波が来た所に石碑を建てます。 その石碑の周りには、3日分の食料や水を備蓄しておき、毎年3月11日、全員で避難訓練をし、震災のことを書いた私たちの本を子どもや孫に代々語り継いでいくのです。 そうすれば、昔、浜の人たちが囲炉裏端で津波のことを代々語り継ぎ、三陸の海で2千年以上も暮らしてきたように、あの豊かな町を私たちの手で作り上げることができると考えています。 私たちは、石碑だけで震災のことを千年後まで伝えることができないのではないかと考え始め、命の教科書を作ることと、津波で倒れたビルを保存することを考えました。 命の教科書とは、小中学生に大地震や大津波、洪水などの自然災害、交通事故やいじめ、犯罪など、起こりうるすべてのことから自らの命を守るための手立てを、小学1年生から段階を踏んで学ぶことを目的としています。 最後に、被災したビルの保存についても、2年生全員で話し合ってきました。 これは、友達が「原爆ドームのように建物を残したい」と言ったのがきっかけです。広島市市民局国際平和推進部様から資料をいただき、原爆ドームが保存されるまでの経過について詳しく教えていただきました。 その資料には、かじやまひろ子さんという少女が、「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも恐るべき原爆を後世に訴えてくれるだろう」と日記に書き、その日記に心打たれた人々が「募金活動と署名活動」を始め、19年もの活動を続けた結果、広島市長を動かすことにつながったのだそうです。 これらのことを知って、実行委員は、建物の保存の必要性を実感しました。そこで、町内の皆さん、仮設に住んでいる人たちを中心に、保存についてのアンケートをとりました。 その結果、「保存を望んでいる人」が約20%、「解体してほしい」が50%、「どちらでもない」が30%でした。 「解体してほしい」の理由は、「思い出すので」という意見もありましたが、大部分は、「維持費がかかる」という考えでした。 そこで、私たちはそれでも残そうと考え、一つひとつの解体理由に対して考えを出し合いました。 「建物を見ると思いだしてしまう」という考えについては、大切なのはまた来るだろう千年後の人たちの命を守ることだと考えました。あの津波は大切な家族の命すらを奪ったつらいことですが、そこから動き出さないことには、千年後にまた自分たちが体験したつらく、悲しいことを繰り返してしまうと思うのです。 倒れたビルを残すことができれば、震災を体験していない後世の人たちも、津波の威力のすごさを伝え、現実に起こることとして伝えることができると考えました。 また、「復興の妨げになる」という意見に対しては、三つの倒れたビルを1カ所に集めて、津波に関する資料を学べる記念館として保存していきたいと考えます。 さらに、維持費については、原爆ドームでも多額の維持費がかかっていますが、一人ひとりの命を守ることは、お金の問題ではありません。千年後の人々の命を守るためには、いくらお金をかけても保存していかなければならないと考えています。 原爆ドームも、19年という年月をかけて保存が決まった建物です。その19年という時間には、たくさんの思いが込められているのだと思います。 だから、私たちも今、あわてて物事を片付けるのではなく、千年後の大震災の前にいる私たちが、千年後の人々の命を守るために何をすべきかを真剣に考えながら、一日一日を大切に生きていきたいと思います。 私たちはまず、千年後の女川の一人ひとりの命を守るために、女川町内にある21の浜すべてに石碑を建てるための約1千万円を、この金額を100円募金で集めたいと考えています。 私たちのかなえたいこの三つの夢を、昨年の7月、仙台で開かれた世界防災閣僚会議で、野田総理大臣はじめ、世界100カ国の代表の皆様にお伝えする貴重な機会をいただきました。 4月18日には東京の修学旅行で、これまでご支援いただいてきた企業や大学などを訪ね、私たちが考えた三つの津波対策について発表したいと考えています。 「夢だけは 壊せなかった 大震災」 これは、私たちの同級生が2011年の6月に詠んだ俳句です。 三つの津波対策案は、まだまだ夢の段階です。でも、あの日、この夢を実現させる唯一の源である大切な命を守ってもらいただき、世界中の数多くの人々の支えによって今ここにいることができる一人の人間として、これから生まれてくるすべての人の幸福のためにも、ぜひ三つの夢を実現させたいと私たちは強く願っています。 宮城県女川町立女川第一中学校2年生一同 代表 阿部由季 木村圭

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