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◆福島原発事故と水俣病の教訓 原田正純医師に聞く(2011年9月8日 東京新聞)から抜粋
天災ではなく、人災。企業も国も責任回避に走る―。公害病の原点となった水俣病と福島原発災害とは共通点が多い。水俣病研究・治療の第一人者で、熊本大助教授や熊本学園大教授を務めた原田正純医師は「この二つは非常に似ていて非なるもの。放射性物質による被害はもっと複雑で対策は困難だ」と語る。「水俣の教訓を生かし、腰を据えて問題に取り組まねば」と話す原田医師に聞いた。 (出田阿生)
 福島原発事故では、空気や土に加え、高濃度の汚染水が海に放出され、魚介類などからも高濃度の放射性物質が検出された。放出の際、複数の専門家たちは「放射性物質は海水で薄まるので、環境への影響は少ない」などとコメントした。
 原田医師は「これを聞いて、僕は腰を抜かすほど驚いた。海で薄まるから大丈夫なんて、学者の言うことか。水俣では海で薄められた有機水銀を食物連鎖で魚介類が濃縮して大変なことになった。教訓がまったく生かされていない」と憤る。
 当初、原田医師は原発事故は地震と津波による天災だと思った。だが、次第に「人災だ」と確信するようになった。人為的に引き起こされた広大な環境汚染。科学技術への過信。国策と企業の利益が優先され、住民が切り捨てられてきたこと―。水俣病と原発事故の共通点に思いをはせる。
 「行政は自分らに都合が良い学者だけを重用する。僕は何十年も水俣病患者を診てきているけれど、一度も行政の委員会に呼ばれたことはない。国から一銭も研究費をもらってないのは、むしろ誇りですけどね」
 原発の危険性を指摘する学者たちも徹底的に排除されてきた。「原子力推進は国家そのもの。圧力は水俣病の比ではないだろう」と推測する。 ただ、一方で「原発災害は水俣よりもはるかにやっかいだ」と話す。
 水俣病には手足の感覚障害など特徴的な症状がある。しかし、放射性物質によるがんなどの発症は、他の原因による場合と区別がつきにくい。
 原因物質も放射性物質には複数の種類があり、人体への影響はより複雑だ。しかも健康被害が表面化するまでに何年、何十年とかかる。原爆被害と比較しても、事故では長期間、低線量の放射性物質が影響しそうだ。
 原田医師は「被害の認定をする機関は医者だけで構成してはだめだ。住民代表を入れる必要がある」と訴える。自らの水俣での経験から未知の分野では、既存の知識で説明しようとする医師は逆に誤りやすいという。
 水俣病では当初「母体に守られた胎児に影響はない」という説が支配的だった。しかし、「みんな同じ症状じゃないか」という当事者の母親たちの言葉をきっかけに、原田医師らは胎盤を通じて中毒になる胎児性水俣病を初めて立証した。
 日本の水俣病では、専門委員会は医師ばかりで構成された。複数の症状がなければ認定せず、地域や出生時期で線引きすることで患者を切り捨てた。一方、カナダの水俣病では認定機関は医師以外に法律家や被害者代表たちも参加している。
 原田医師は「水俣病みたいな単純な構造で起きた病気でも、一定のめどがつくまでに50年以上かかっちゃった。原発災害では、被害者を交えて議論を公開していく必要がある」と強調する。
 水俣病では健康調査の実施が遅れ、被害が拡大した。今回、福島県はすでに県民健康調査に着手している。原田医師は「初期に健康調査をやるのはいい。だが『被害はなかった』という行政の言い訳に使われてはならない」と注意を促す。「住民の不安を取り除く」目的で調査をすると、被害の過小評価につながりかねないからだという。
 原田医師は住民の長期的な健康管理や体調の異変に対応できる恒久的な窓口の設置が不可欠と説く一方、「調査が新たな差別を生まないようにしなければ」とも話す。
 原爆症や水俣病では、結婚や就職への影響を恐れ、検診を受けることを控える動きがあった。
 「将来起こり得る差別にどういう手だてを講じるのか。政治家を中心に全力で考えないと」
 加えて、原田医師がよく使うのが「差別のある所に公害は生まれる」という言葉だ。
 「僕も最初は病気のせいで水俣病患者が差別されていると思っていた。だが、世界各地の公害現場を歩くうち、差別される場所に公害というしわ寄せがくると分かった。原発も都会で使う電力を地方でつくり、廃棄物まで押し付けられる」
 訪れた場所の一つにインド中部ボパールがあった。そこで1984年、米ユニオン・カーバイド社の農薬工場が爆発した。工場には五種類の安全装置があったという。「その五つが同時に作動しなくなるのは、天文学的な確率といわれていた。まるで今回の原発事故も同じだ。安全性は確率では計れない」
 死者は一夜で二千人以上、五万人が中毒になったといわれるが、貧困層が集住するスラム街で起きた事故ゆえ、被害の全容は分かっていない。
 事故翌年に原田医師が現地を訪れると、死んだ赤ん坊を抱いた母親像が建てられていた。台座には「ノーヒロシマ ノーボパール 私たちは生きていたい」とあった。
 「教訓っていうのはそもそも何を失敗したのかということを発信することです。反省なしに発信は無理だ」と原田医師は言う。環境省は2013年制定を目指す水銀規制の国際条約に「水俣条約」と命名しようと提案している。しかし、不知火海沿岸の住民健康調査は実施されておらず、水俣病被害の全容は明らかにされていない。原田医師は反省は形にすぎないのでは、といぶかる。
 今回の原発事故では、税金が賠償に投入されそうだ。「納税者は被害者救済という第三者感覚ではなく、賠償という認識を持ち、東電や国の責任を明確にしなくてはならない」と力を込める。
 原発事故も水俣病も根幹には「豊かな暮らしを支える技術革新のプラス部分だけを求め、マイナスを社会的弱者に押しつける」という風潮があったと原田医師はみる。その結末が導いた単純な教訓をこう語った。
 「でも、そのために命や健康を失う人がいる。幸せな社会だろうか」
<水俣病> 新日本窒素肥料(1965年からチッソに改称、2011年3月に分社化)水俣工場の工業廃水に含まれていたメチル水銀が海に排出され、生物濃縮された魚介類を食べることで発生した公害病。1956年に公式確認された。59年に熊本大医学部の研究班が「原因物質は有機水銀」と発表したが、企業も国も責任を認めず抜本対策をとらなかったため、被害が拡大。国は68年になって、因果関係を認めた。刑事裁判としては88年、最高裁で元チッソ社長と元工場長の有罪判決が確定。複数の損害賠償請求訴訟も起こされ、関西訴訟では2004年、最高裁が水俣病の被害拡大について国と県の責任を認めた。

◆「水俣学の遺志継ぐ」 原田正純さん、悼む声相次ぐ(2012年6月13日 朝日新聞)から抜粋
 11日に急性骨髄性白血病で亡くなった水俣病研究の第一人者、原田正純さん=元熊本学園大教授。77歳だった。「戦後最大の公害事件」と向き合ってきた医師の死を惜しむ声が各界から相次いだ。
 原田さんが医学的な助言をしたという石牟礼道子さんの著書「苦海浄土」。その作品を「世界文学全集」に編集した作家の池澤夏樹さん(66)は「『水俣』は終わっていない。もっと働いてもらいたかった」と残念がる。「病気を研究する中で、自然に被害者の立場に立ち、思想に裏付けられた科学者だった。結論をねじまげる科学者が多い中で、重大な仕事をした人」
 ノンフィクション作家の澤地久枝さん(81)は講演会や会合で原田さんと顔を合わせてきた。「大きな痛手です。勇気を持って告発され、あれほど丁寧に患者さんとお付き合いをされた方は他にいません」
 公害・環境問題に関わる人でつくる日本環境会議の代表理事だった原田さん。3月に松江市内で開かれた大会で、水俣病と福島第一原発事故を比較し、「放射能は海に出て薄まる」との専門家らの意見に怒った。「海で薄くなったものが食物連鎖で濃縮されたのが水俣の教訓ではないか」

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