201305244

チリ地震津波から53年 大津波3度経験「また来る」

 

 53年前の1960年5月24日早朝、チリ地震津波が日本沿岸を襲った。死者・行方不明者は岩手、宮城両県を中心に142人を数えた。宮城県南三陸町志津川の印刷業千葉賢二郎さん(89)は押し寄せる波に巻き込まれたが、辛うじて生還した。33年の昭和三陸津波、2011年の東日本大震災と、歴史的な津波を三たび経験し、「三陸に大津波は必ずまた来る」と警告する。


「子どもの時分から『地震があれば津波の用心』と聞かされてきた。地震がないんだもの、津波なんて想像もしなかった」。千葉さんは、不意を突かれたチリ地震津波の衝撃を語る。
 自宅は志津川漁港の近くにあった。引き潮に津波を予感した漁協の組合長が家々に避難を呼び掛けた。半信半疑で家族を高台に避難させた千葉さんは、戸締まりのため再び帰宅する。そこに水の山がのし掛かってきた。
 「もう駄目だと諦めたが、流れてきた家が私の前で止まった。これが第一の幸運。はしごが流れてきて、すがりついたら体が浮き、屋根にはしごが引っ掛かった。それで奇跡的に助かった」
 チリ地震津波で当時の志津川町は41人が亡くなった。千葉さんは浸水した自宅の1階を解体し、被害の少ない2階を地面に据えて生活。その後、現地に自宅を再建した。「移転の考えはなかった。生きているうちに津波で家が流されるとは思わなかった」と振り返る。
 51年後、東日本大震災が発生する。当初、チリ地震津波の経験から2階に避難した。駆け付けた息子らの助けで高台にたどり着き、間一髪で難を逃れた。家は跡形もなく流された。
 1923年、旧志津川町に生まれた。「お前の伯父さんが生きていれば…」。明治三陸大津波(1896年)で長男を亡くした祖母の嘆きを寝物語に育った。
 その大津波から37年、9歳の時の昭和三陸津波では、地震の発生が未明だったせいか、逃げろと言われた記憶はない。流れてきた缶詰を友だちと拾い集めた楽しさと、わざわざ海を見に行く大人たちをぼんやり覚えている。「大きい津波が遅れて来ていたら、みんな死んでた」。実際、当時の志津川町は犠牲者が出なかったが、隣の歌津村(現南三陸町歌津)では86人が亡くなった。
 「津波では予想もしないことが起きる」。来るたびに異なる津波の姿と、過去の教訓を忘れがちな人の習い、そして、大津波の悲劇が連鎖する人生の壮絶さが、千葉さんの回想からにじむ。
 「子孫が津波で命や家を失うなんて考えたくもない」。千葉さんの思いは、三陸に生きる人全ての願いだ。

最終更新:5月24日(金)14時1分

 

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